保活はツライよ 7️⃣どん底からの復活 1
保育園に落ちてからというもの、よし❗️頑張るぞ❗️と思ってはもうダメだ。と思う、非常に情緒不安定な時期が続きました。
特に夜になると泣けてきて、完全にメンヘラ。笑笑
自分なりに何度も何度も考え抜いた上、書類を提出し、自分で決めた以上、もう後ろは向かない、後悔しない。と決めたはずなのに、いざ落ちてみると、そのときは認証園の合格もなかったので、自分の選択はやはり間違っていたのではないかと思ってしまいそうになり、もう心のなかはぐちゃぐちゃ。
仲良しのママ友達も、みんな合格していたため、一人勝手に肩身が狭くなってしまい、みんなのさりげない一言に一人で勝手に傷つき、心を乱されるという日々でした。
自分のせいなのに、なかなか前を向けず、自暴自棄になっていました。
このまま腐ったらだめだ。そう思ったわたしは、二つのことを実践しました。
1️⃣とにかく、外に出て、人と話す。
家で引きこもっていても心が塞いで息子にもよくない。ツライ時こそ、外の世界へ出て、人と話してみる。
いつも行っている地域の子供広場…は正直、その時期にはしんどかったです。笑笑
だって仲良い人たちはみんな受かっているから。でも、そこで自分と同じく落ちた人も出会うことができたり、新しい友達ができたり。嬉しい発見もありました。同じように認可に落ちていた人もいて励まされた。中には0歳児クラスでも落ちた人や、旦那さんの転勤でそもそも出していない人なんかもいて、改めて保活の厳しさと、本当に色々な家庭があるんだなあと再認識。
それから2-3歳の幼稚園狙いのママ達とは範囲が被らず、気分転換になってよかった。
ある日 初めて訪れた出先ではステキな老夫婦との出会いが。その場所は、ずーっと行ってみたかったけど、行けていなくて、不合格を知った翌日に思い切って行ってみました。
ご婦人がワーママだったらしく、当時のお話を聞かせてもらえんだけど、当時はまだ専業主婦も多くて、育児休暇なんてものもなく、保育園もあったけど先生達に「こんな小さいうちから預けるなんて可哀想」とか言われてしまう時代だったらしい。
そんな中、ご婦人は辞める覚悟で会社に1年間の休みを申し出たところ、その願いが通って休めたんだって。今で言う育休のようなものだよね。
小学校に上がってからも、学童がないってなり、有志のママ達と自治体に嘆願書を出して設置してもらったらしい。その有志ママ達とは、そうやって苦労を共にしたからか今でも仲良しなんだって(子供達同士はそうでもないらしいけど笑)。
いま私たちが当たり前のように利用できてるサービスや制度はこうした昔のワーママの活動のおかげなんだなあって改めて感謝。
最後、そのご婦人に言われた言葉がすごく心に残った。
「私は、女性は働いた方がよいと思っているの。だってね、子供はいつか親を超えていく。特に男の子はそれが早い。旦那は旦那で仕事をして、自分の世界を持っている。今は子供に手がかかって一番大変な時期だけど、すぐにその時期は過ぎ去る。そしていざ子供から手が離れたとき、家庭以外に自分の世界を持っていた方がいいと思うの。」
仕事をすることで、育児以外の自分の世界を持つ。専業主婦を否定するつもりは全く無くて、ただ、仕事をそういう観点で捉えたことがなかったので、とても新鮮でした。
あと、既に子供が2人いる同級生にも久しぶりに会って話を聴きました。彼女は
「わたしも子供二人を保育園に預けているけど、失ってるものも多いと思う。初めてできるようになったことは全部保育園で、その瞬間をほとんど自分の目では見られていない。仕事はいくらでも代わりがいるけど、母親の代わりはいない。だから、そんなに焦らなくていいんじゃない。」
と言ってくれました。
先輩ママ達の言葉は一番の薬だね。
時間が経ったこともあり、ようやく少しずつ落ちたことを受け入れ、前向きになれてきました。
保活はツライよ 6️⃣保育園落ちた。日本死ね。
2月の上旬
その悲報は届きました。
悲しかったのは、開封する前から結果が分かってしまったこと。
何でって、封筒の窓から見える紙、両面印刷してあって裏面の表みたいなのが若干透けて見える。
合格通知だったらそもそも両面印刷してないだろうし、表なんて載ってないだろう。
予想的中。開封してみると見事不合格でした。
SNSで調べて知識としては知っていたけど、本当に紙切れ1枚でくるんですね。
世知辛い。
不合格の通知を目にした時は、複雑な気持ち。
心のどこかで根拠もなく受かれるかもと思っていたけど、さすがのわたしも厳しい園を書いたことは分かっていたので、やはりという気持ちもありました。
すぐに、一番仲良しのママ友にライン。
わたしも落ちたよ!ツライね!
誰かとこう言い合って分かち合いたい。
そしたら、前を向ける気がする。
自分のバカな選択には目を瞑り、待機児童が多すぎてダメだったことにしたかったのです。
しかし、そのママ友は合格していました。
自分の周りのママ友はみんな合格でした。
ただ一人、自分を除いて。
市外から転居してくる人まで合格していたと聞き、私は一気に落ち込みました。
不合格
覚悟していたつもりだけど、やっぱり覚悟できてなかった。。
ちなみに、この時点で認証園はどこも受かっていませんでした。
一気に不安と焦り、孤独感がこみ上げてきました。
書類提出前、落ちたら育休延長、はたまた仕事を辞めてもいいと思っていたけど、いざ落ちてみるとどうか。
まず育休延長すると、いまは法改正で最大2年まで取得できるけど、息子は早生まれのため、来年の4月を待たずして延長終了。来年受かったとしても、復帰までもたない。
そもそも来年は2歳児クラス。
1歳よりも枠が少ない。ここも激戦。
ふつうに育休延長して入れる保証はない。
となると、頭をよぎる
退職
の2文字。
今まで曲がりなりにも数年間勤めてきた会社。
辛い時も、悪阻がしんどくて死にそうな時も、大雪の日も頑張って通ったのに、昇進もして、社内でも関係性をそれなりに構築してきたのに。
こんな形でキャリアを終わらせていいの?
転職するにも、子持ち時短を正社員で快く雇ってくれる会社が果たしてあるのか。
会社を辞めてもいい?
ダメに決まってる。と急に焦る。
そしてこのまま育休延長したところで、退職待った無しという現実にようやく気づくわたし。
夏から保活してたのに、この頭の悪さ、ほんとにどうしようもない。
そしてこみ上げる行き場のない怒り。
あんなに保活頑張ったのに。
たくさん悩んで決めたのに。
保育園に入れないと仕事ができないのに。
こんなに保育園に入れないことで仕事や生活について悩まないといけないなら、そりゃ子供作るのも躊躇するわとひしひしと思った。
かつて、日本死ねと呟いた方の気持ちがわかる日がくるなんて、思いもしなかった。
想像の数百倍、不合格通知はずしーんときました。
そして頼みの綱の認証園からは音沙汰なし。
ちなみに、わたしは認証園の願書で聞かれる、他園の状況にすべて正直に答えていた。
これも今思うと失敗した〜
みんな単願とか嘘つくの当たり前なんだね。
本当に早くから活動してたとは思えない知識のなさにうんざり。
そして仲よかったママ友達がみんな合格し、急に取り残されたような孤独感。これがじわりじわりとくる。みんなが心配して気遣ってくれるのに、それすらも素直に受け止められない器の小さい自分にまたイライラ。
みんなの入園準備、復帰の姿を想像してなんとも言えないモヤモヤが自分を支配していく。
息子と一緒にいられる喜びは微塵も感じることができず、これからの生活への不安と焦り、怒りがわたしを追い詰めていったのでした。
焦ったわたしは翌週に市役所へ。
もう藁をもすがる思いで行ったのですが、わたしのメンタルの弱さが悪いのか、対応してくれた人がまあ機械的なこと。
偏見を持ってはいけないけど、まだ20代半ばくらいで結婚もしていなそうな男性で、パンフレットに書いてあるようなマニュアル回答ばかり。おい、こっちは一応夏から保活してそれぐらいは全部把握してるし、実行してるわ!
さらに癖なのかしらないが、貧乏ゆすりに時計をチラチラ見る。
市役所の人たちも忙しいのはわかる。でも、こっちだって保育園に生活かかってんだ。なのになんでこいつはこんなに他人行儀なんだ。わたしは一体何をしてるんだろう。
もうなんか全てが虚しくなり、その場で泣きました。
そしたらその職員も流石に焦ったか、貧乏ゆすりは止まり、すこし真摯になったような気もするけど、不合格なうえに役所で恥を晒し、帰宅したのでした。
もう、気分はどん底。
保活はツライよ 5️⃣迷走
夏から始めた保活も、気づけば秋になり、いよいよ認可保育園の申し込みが近づいてきた
はじめに結論を言うと、
認可保育園の一次は全落ちでした。
私の住む自治体は希望園を数園しか書けないので、どこの園を書くか、というのはかなり大事な作戦でした。
いま振り返ると、この時期の迷走が一番大きな敗因だったと自覚してます。
わたしの住む自治体は、都内でもワーストに入る待機児童数で、正社員共働きで兄弟が居たり、認証園に入って落ちる保育園があるくらい、激戦でした
正社員共働き以外に加点がない場合は、希望園を十分に吟味する必要があり、駅からのアクセスが悪い園、新設園、2歳までしかない園などなど、比較的人気がない狙う必要がありました。ましてや1歳児は一番激戦、それでも落ちる可能性は高い。
でも、わたしは何故かその現実を知りながら、口ではヤバイヤバイと呟きながら、どこか楽観視していて、根拠もなく何だかんだどこかには入れるだろうと強気に構えていました。今思うと本当にバカの極みです。
悩みに悩んだ結果、入れる可能性が高い園よりも、自分がこの園なら預けてもいいと思える園を書こうと考えてしまったのです。
どうせ書くなら悔いのないようにと。
もし落ちたら育休延長、ダメなら仕事を辞めてもいいやと考えていていました。
もちろん、旦那にも幾度となく相談に乗ってもらい、あーでもないこーでもないと議論しました。旦那は、最初から入れる可能性が高い園を書いた方がいいのではないか、きっとどの園でも子供は適応していくんじゃないか。今思うと大正解の答えを提案してくれてました。
でも、私の保活への執念も見ていたので、最終的には私が後悔のないように書いたらいいと言ってくれ、愚かなわたしは初志貫徹にすることにしました。
結果、
1枠しかない園(毎年兄弟いる人が受かってる)
や
駅近園(超人気)
や
昨年兄弟が居ても落ちている人がいる園
(つまり正社員共働きは論外)
を書きました。
例えるなら、偏差値が40しかないのに、校風が好きだからと偏差値65の学校しか受けなかったくらい愚かな行為です。
ちなみに、無駄に嘆願書も添付しました。
嘆願書を付ければ、市役所の人も同情してくれて同じ点数で受かるのではないか、そう思っていました。
本当にバカの極みです(2回目)
変なプライドを持たず、事前にママ友から実情をちゃんと聞き、入りやすい園を書いていれば、一次で合格したかもしれないのに。
この、実力ないのに自分のこだわりを貫いた迷走によって、見事に一次 不合格へと滑り落ちていったのでした。
保活はツライよ 4️⃣ 良い園とは?
結局、最後まで予約を取れなかった認証園もあったけど、認可園は基本的に全て予約可能だったので、自宅と使用駅付近の保育園を可能な限り見学。
まず、全体の感想として、園庭が狭い💦
認証園に至っては園庭がないのは当たり前。
雑居ビルの1角が保育園になっているところもあり、自分の思っていた保育園のイメージとは随分かけ離れたところも何箇所もありました。
都内だから覚悟はしていたけど、田舎育ちの自分としては園庭で自由に駆け回る子供達を想像してたので、かなりカルチャーショックでした。
そして、いまはモンテッソーリ教育や英語教育などに力を入れている園がたくさんあり、またそういう園が人気を博しているとのこと。
食育の推進はもちろん、中には東日本大震災以降は放射線量を気にする親に配慮して 食材の産地はなるべく西日本のものを選んでいるなんていう園も。
見学に来ている親達も本当に様々で、色々な意味でショックを受けたり、刺激を受けた。
当時、いい園を見つけようと張り切っていたわたしはすごく厳しい目で見学をしていて、なかなか良い園が見つからないと思っていた。
今思えば、当時わたしが良いと思えた園は 園の説明をしてくれた方のイメージが良かったり、話が上手だったことに大きく左右されていて、もちろんそういう第一印象も大切なのだろうけど、自分たちが見学をした30分足らずの時間では判断することなんて出来ないのに、必要以上に厳しく粗探しをしてしまってる感じだった。
今思えば、現場の保育士さん達は皆さんとても丁寧だし、自分が一番気に入っていた園はあとで実際に入園されてるかたの話を聞いたら意外と園長が面倒くさいタイプでその人はそこまで絶賛していなかったり。
もちろん、見学の印象は大切だけど、見学だけが全てではないと今は思う。
振り返れば当たり前のことなんだけど、当時のわたしは見学後に所感を紙に起こしたりして、見学の印象から自分に合う園を見つけないとと固執していたのは否めない。
あとは、なによりも大切なのは見学よりも地域の遊び場に出かけて、ほかのママさん達の情報を得ることだと思った。これも、私が保活中はできなかった。ほかのママさん達をライバルだと勝手に思って、神経を尖らせていた。全く情けない。。
ママさんネットワークに勝る情報は無し。
これが一番の教訓かなと思う。
ちなみに認証園は、認可の補欠的な感じで園の方も保護者の方も捉えてる方が多い印象で、説明会とかも非常にさっぱりしていたイメージだった。
オムツの準備とか、ハード面での手厚いサービスが認可よりも優れている園が多かったように思う。
あとは外部講師を呼んで英語教育、モンテの時間などなど。なかには近くのスイミングスクールへ連れて行ってくれるところなんかもあって、面白いなあと思った。
でも、やっぱり狭い。。
息子は男の子だから、たくさん走り回らせてあげたいなあ。
そんなこんなで、申し込みが近づいて来た。
保活はツライよ 3️⃣ 予約がとれない認証園
保活を始めて驚いたこと。
それは、認証園は説明会の予約すら取れないこと。
そして説明会の参加は入園申し込みの必須事項でもあり、説明会に参加できない=申し込みができないということ。
中には毎月●日の●時から電話予約を開始しますと言われ、かけてみれど繋がらず。ようやく繋がった頃には、もう予約満杯。
予約開始0分であっという間に枠が埋まる。
親達の必死さが予約の段階から伝わります。
ある意味これは就活以上の厳しさなんじゃないか?
しばらくは予約を取るために、予約時間前からスタンバイするという生活が続いた。
でも、いくら育休中とはいえ乳児のお世話をしながら固定の時間を絶対に空けるというのもなかなか難しい。
認証園なら行けるんじゃないかと思っていたわたしは、出鼻をくじかれた感じがありました。
保活はツライよ 2️⃣
私の保活は夏頃から開始。
私の住む市は11月中旬に認可園の申し込みで、秋頃には見学も混み合うとのことだったから、早めに行動を開始。
早生まれの息子、1歳児クラス。
一番の激戦。
あと2週間遅ければ0歳児クラスなのに。
4月上旬生まれのお母さん達の余裕が羨ましい(´;ω;`)
保活を始めて、1歳児クラスがなぜこんなに激戦なのか分かりました。
0歳児クラスからの持ち上がりで、ほとんど枠がない。
わたしの家の近くの保育園は1歳児の定員は0歳からの持ち上がりを引くと実質1名。これはしんどい。
ママ友に、
保育園はライフプラン
と言われ、わたしはエンジンをかけました。
息子のために、復帰したらわたしよりも長く息子を預けることになる保育園。
自分がここだったら預けられると納得できる園を見つけよう。
わたしはそう思い、まずは片っ端から見学に行ってみることにしました。
保活はツライよ 1️⃣
保活。
子供が産まれるまで知らなかった言葉の一つです。
地域によるけど、いまや正社員共働きでも認可保育園に入れない時代。
都内某市に住むわたしも例外ではなく、むしろ都内でワーストに入る待機児童の多さである市に住んでいます。
これは、夏頃から始まった保活の記録です。